最新情報: 本ページは、長文の「私小説」の趣のある内容になっていますが、団塊の世代の方々には、非常に興味をもって読んでいただけるのでは、と北岡は考えています。
このページは、メタ心理學研究所代表の北岡泰典が開講する「『男の花道を飾る』プロジェクト『無料個別面談』」の紹介ページです。
「『男の花道を飾る』プロジェクト」宣言!
メタ心理學研究所代表で、「エグゼキュティブ ライフ コーチ」の北岡は、1981 年に国内の大学を卒業した後、サハラ砂漠で通算 3 年間仏語通訳に従事しました。その後、1983 年に、米国西海岸でインド人師匠に弟子入りした後、1985 年から 2001 年まで英国に滞在した後、帰国しました。1988 年と 1989 年には、西海岸で、NLP (神経言語プログラミング) のトレーニングを、創始者から直接受けました。
北岡は、1971 年に関西の地方都市の高校に入学した時、当時「遅れて来ていた」学生運動の波に揉まれ、中村とうよう主幹の『ミュージック マガジン』等のアングラ雑誌に文字通り触発されて、「ヒッピー文化/カウンターカルチャー」の強烈な洗礼を受けたのですが、大学卒業後、20 年間の北岡の欧米生活では、まさに北岡が十代後半に「Do It! (やっちまえ!)」(そういえば、1971 年刊行のジェリー ルービン著の同名の本は、高校時代の北岡のバイブル書でした!) というふうに「焚き付けられた」ことを、文字通りすべて、実践することになりました。
ただ、2001 年に帰国した時、国内では、若い人々が、「ヒッピー」、「カウンターカルチャー (対抗文化)」、「学生運動」等を始めとした 60 年代、70 年代の過去の歴史的事実とレガシーを、いっさい知らない、あるいは、前の世代からいっさい伝えられていないことを知って、唖然とし、腰を抜かした次第でした。自分は、文字通り、「浦島太郎」になった、と思いました。
また、現在の日本の時事トピックになっている「LGBT」、「SDGs (持続可能な開発目標)」、「気候変動対策」、「脱炭素社会化」、「電気自動車社会」、「GAI/ ChatGPT」、さらには「スーパーのレジ袋有料化」は、すべて、元々の源泉は、西海岸式「カウンターカルチャー」のヒッピーの「自分の枠から出ようとする姿勢」と「エコロジー (生態論重視) 意識」にあるのは、世界的には、周知の常識ですが、この事実が、「ジェネレーション ギャップ」によって、日本でいっさい認識されていないことに、北岡は驚愕してきています。
国内で、なにゆえに「ジェネレーション ギャップ」が生まれたか等の分析については、本ページの内容を参照していただきたいのですが、北岡は、国内の「団塊の世代」の方々の「会社の要職から退職された後の境遇」の問題について、全面的に共感させていただくと同時に、自身が極めて多感な高校時代に、団塊の世代の方々から「焚き付けられた」ことすべてを、二十代後半から四十代にかけて、海外でやり尽くしてしまった北岡は、現在の団塊の世代の方々の「悲哀」その他の問題を、共感させていただきながらも、「実際に全面的に解決」できる知見と実践的ノウハウと臨床的経験を、過去四十余年にわたって、実体験上で、蓄積してきていると思っています。
団塊の世代の方々が今よりもっと高質な人生を送れるようになり、たとえば、「不動心」をもたれ、「死の恐怖を克服」できるようになり、統合の世界を手にされて、もう一度、新しい形で、世の中へ、今後の日本へ、貢献や影響力をもっていただけるように、全面的な「精神的支援」を提供させていただくことが、「『男の花道を飾る』プロジェクト」の趣意となっています。
このようなプロジェクトを有効に実行できるのは、過去 20 年間、海外で、「GAFAM (Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)」等を生み出し、現在、世界を席巻してきている「西海岸文化」の影響を、現場 (欧米) で、身をもって受け続けた北岡しかいないだろう、と自負させていただいてもいます。
北岡の「『男の花道を飾る』プロジェクト」によって、日本が再活性化され、経済的も政治的にも再復興することを、切に願っています。
よろしくお願いいたします。
「『男の花道を飾る』メタ心理學ワーク」とは?
現代日本の大きな社会問題の一つとして、「会社の要職から退職された後の『団塊の世代』の方々の境遇」があります。
「ライフ コーチ」の北岡泰典は、過去 20 年間の欧米生活の中で、この種の社会問題を耳にしたことがないので、これは、日本固有の社会問題であると思われます。
(注: 本ページで言う「団塊の世代の方々」は、厳密な辞書的な「1947 年から 1951 年にかけて生まれた世代の方々」の定義をさらに広げて、あえて、「1946 年から 1955 年の戦後 10 年の間に生まれた世代の方々」を指すことにさせていただきます。北岡自身は、1956 年生まれなので、いずれの定義においても、団塊の世代ではありません。)
思うに、戦後直後に生まれたこの世代の方々は、敗戦後の世界的にも類を見ない日本社会と経済の「未曾有の復興」と、「ジャパン ナンバー ワン」としての世界的牽引と、その後の日本の「失速」と「低迷」に関わってきていているので、日本の戦後の歴史を最も象徴する世代の方々になっています。
北岡は、1981 年から 2001 年まで海外にいましたので、国内の歴史 (の一部) に非常に疎い面もありますが、反面、そういう「枠を外れた、外からの視点」をもっているので、通常の日本人の方々には見えない北岡独自の観点からの「問題解決法」の提起ができる、と考えています。
ただ、本ページにある、「世界的基準」に基づいていると考えている北岡の「問題解決法」の提起は、「オーソドックス」ではないので、もしかしたら、団塊の世代の方々からは、「事実誤認である」というご指摘を受ける可能性がある、と思っています。その一方で、「会社の要職から退職された後の『団塊の世代』の方々の境遇」の社会問題について、真の意味での「全面的解決法」を提示させていただくことができるのは、過去、欧米諸国で、「世界的常識」を身につけた北岡だけではないか、とも、考えさせていただいています。
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北岡自身は、団塊の世代の方々から影響を受けた、というか、むしろ、団塊の世代の方々自身が受けたと思われたものと同じ影響を受けた、と認識したのは、1971 年高校に入学した時でした。当時の北岡にとっての衝撃的な体験の例をいくつか挙げさせてください。
1971 年に関西の地方都市の高校に進学した時、それ以前に都会から始まっていた「学生運動」の波が、二、三年遅れて、この市にも押し寄せてきて、学内で「スチューデント パワー」が爆発していました。毎日のように、講堂で、校長、教頭、教師等が、「総括」という名で、「吊るし上げ」られていました。ただし、この運動は、全国的な運動の経緯同様、徐々に収束していきました。
高校 1 年の美術の時間に、担当教師が、授業中、カセット テープ デッキでビートルズの曲を流していました。
美術部の部員が、市の公会堂で「アンデパンダン展 (独立展)」を開いて、サルバドール ダリやマルセル デュシャンやジャクソン ポロックを模した作品を展示していました。
北岡自身は、文芸部に入り、いわゆる「反体制運動」に染まり、その観点から、哲学的/文学的思考を育んでいました。
部室では、1969 年の「ウッドストック フェスティバル」に出演したジャニス ジョップリンやジミー ヘンドリックスの音楽が、大音量で流れていました。
中村とうよう主幹の『ミュージック マガジン』等のアングラ雑誌を読み漁り、西海岸風の「カウンターカルチャー/ヒッピー文化」の洗礼を受けました。
特に、雑誌で、米国人の元ハーバード大学教授の心理学者リチャード アルパートが、インド人のグルに出会い、帰依して、「ラム ダス」なった話等を読み、将来的に、インド人導師に弟子入りしたいと思いました。
実は、感性が極めて敏感な十代後半の時に受けた、以上の「文化的洗礼」は、北岡の「原体験」になっていて、50 年以上経った今なお、北岡の思考パラダイムの基盤となっています。
この十代から今に至るまで続いている北岡の「内面の首尾一貫性」は、おそらく、団塊の世代の方々にとっては、「驚愕の事実」ではないか、と思われますが、実は、北岡は、高校時代、大江健三郎の小説『遅れてきた青年』のタイトル通り、「私は、後数年早く生まれて、団塊の世代のように、国内の学生運動、文化運動を、自分の身でちゃんと体験したかった。極めて残念だ。私は、『遅れてきた青年』だ」と自己規定しながらひどく嘆いていて、その後、1981 年に、大学卒業と同時に、サハラ砂漠を含む欧米に行き、いわゆる「団塊の世代から『焚き付けられて』いたこと (笑)」を、十数年程度の遅れで、海外で「実際に体験」することになりました (この経験の詳細については下記の「『男の花道を飾る』ライフコーチ北岡泰典とは?」の項を参照してください)。
欧米での 20 年間の生活では、その間 15 年間住んだ英国においてでさえ、いわゆる「西海岸文化」(北岡は、ベトナム戦争が終結した 1975 年以降の「カウンターカルチャー/ヒッピー文化」を、こう呼んでいます) に、世界規模で席巻されていることを、文字通り、目の当たりにしました。
(なお、上述のように、現在の日本の時事トピックになっている「LGBT」、「SDGs (持続可能な開発目標)」、「気候変動対策」、「脱炭素社会化」、「電気自動車社会」、「GAI/ ChatGPT」、「スーパーのレジ袋有料化」は、ほとんどの日本人には、「欧米からの押し付け」という意識しかないでしょうが、すべて、元々の源泉は、西海岸式「カウンターカルチャー」のヒッピーの「自分の枠から出ようとする姿勢」と「エコロジー (生態論重視) 意識」にあるのは、世界的には、周知の常識です。北岡は、この常識は、団塊の世代の方々であれば、「過去の実体験上」、理解可能なのでは、と思っています。)
言い換えれば、北岡は、60 年代の「カウンターカルチャー/ヒッピー文化」が 1975 年に「終息」した後も、「西海岸文化」として、健全に「醸成/成長」していくプロセスを 1981 年から 2001 年まで、「現場 (欧米) で、リアルタイムで、身をもって体験してきた」ということになります。
象徴的に言うと (少し誇張が混じっていますが)、欧米では、自宅で、若い息子とテレビを見ていて「ヌード」シーンが出てきた時、母親は、「私は 60 年代にフリーセックス、ウーマンズ リブ運動に参加していて、1969 年のウッドストック等では、皆、まっ裸で愛し合ったのよ」と言う、といったような、後世の人々への「健全な文化的遺産の継承」がなされてきています。でないと、上記の現在の時事トピック等が生まれるはずはない、と北岡は思っています。
(実は、なぜこれらの西海岸文化的時事トピックが、現在、世界を席巻していているかというと、「元ヒッピー」の人々が 60 年代に描いていたビジョンを、その子供、孫たちが、みごとに継承してきていて、彼らが歳を重ねて、欧州議会や国連等の「要職」に就いて実権を握った後、(自分の両親、祖父母に代わって) まさにそのビジョンの実現と完遂のために、該当の時事トピック関連の「法令化」を進めた、という構図が、北岡にはよく見えます。さらに、現在、米国では、大麻が、全 50 州中 23 州で合法化されてきていますが、ここにも、同じような構図が背景にあります。)
方や、日本では、「カウンターカルチャー/ヒッピー文化」は、仮に 60 年代に輸入されたとしても、「ジーンズと T シャツ」以外は、定着しませんでした。
北岡自身は、上述のように、「60 年代の『カウンターカルチャー/ヒッピー文化』が、1975 年に『終息』した後も、『西海岸文化』として、健全に『醸成/成長』していくプロセスを 1981 年から 2001 年まで、『現場 (欧米) で、リアルタイムで、身をもって体験』」したわけですが、2001 年に帰国した後、国内では、若い人々が、「ヒッピー」、「カウンターカルチャー (対抗文化)」、「学生運動」等を始めとした 60 年代、70 年代の過去の歴史的事実とレガシーを、いっさい知らない、あるいは、前の世代からいっさい伝えられていないことを知って、唖然とし、腰を抜かした次第でした。ある時、三十代前半の男性の方に、(60 年代に、テニス選手のキング夫人が象徴的アイコンだった「女権拡張論者運動」を意味する) 「『ウーマンズ リブ』を知っていますか?」と聞いたら、「それは『スペア リブ』の一部ですか?」と言われ、自分は、文字通り、「浦島太郎」になった、と思いました。欧米では、このような「ジェネレーション ギャップ」はほとんどない、と、実際に欧米に 20 年間滞在した北岡は、見てきています。
また、2000 年代後半に、汐留のヴィラフォンテーヌ ホテルで、「北岡ワークショップ シリーズ」のイブニング ワークを開講した際、以前、学生時代に、アングラ雑誌を読み漁り、「ヒッピー」、「カウンターカルチャー」、「アングラ文化」等に強い興味をもたれていた方で、大学を卒業して、不動産関連の会社に就職した後は、その世界からまったく離れてしまっていたという、当時三十代後半の男性の受講者の方がいて、「北岡さんのように、私が大学時代出会った (アングラ的な) 文化的レガシーを、四十代、五十代になっても、そのまま、もち続けて、かつ発信されている方には、人生上、これまで一人も会ったことはありません」と言われました。
このことに関しては、天外司郎氏 (ソニーで「AIBO」等の製品開発を手がけた土井利忠氏のペンネーム) が茂木健一郎氏との対談 (講談社ブルーバックス『意識は科学で解き明かせるか』、2000 年刊) の中で (茂木氏の、日本の問題点は、本当の意味のカウンターカルチャー革命を経験していない点にある、アメリカ人は基本的な教養として、カウンターカルチャー体験を持っている、日本にはそれがなくて、意識の変性状態のようなテーマを研究するときの非常に大きな欠落になっている、という内容の発言に対して) 「日本の社会の大きな問題点は、カウンターカルチャーを経験していないことです」と述べています。
また、まぐまぐのメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2024.05.08 号の『歴史を動かす米大学「反戦デモ」日本のZ世代が冷笑しかできぬ訳。米国との違い、団塊の責任…いちご白書エモくない問題』というタイトルの記事では、このメルマガ記事配信時点で、全世界いたるところで、ハマスを攻撃したイスラエルに対する反戦の学生運動が起こっているのに、なぜ日本ではいっさい起こっていないのか、についてのかなり的確な分析がなされた上で、以下のことが指摘されています。
「世代論の文脈が日本とは異なるという点があると思います。
まず、現在の若者が「団塊世代」に抱くイメージの問題があります。[中略]
どうして団塊世代のカルチャーの影響力が、今の [米国の] 若者にも残っているのかという点ですが、個別の問題として家族の関係の良さのようなものはあると思います。
やや主観的な言い方になりますが、日本の場合は同世代間の『リアル』が充実して『コミュ力』のある人物は親とか祖父母には『むしろ反抗、自立』しているケースが目立つように思います。
アメリカはむしろ反対で、同世代間での人間関係が豊かな人物の場合は、親とか祖父母とかとも良好な関係を保っているケースが目立ちます。」
「団塊世代の残した記憶というのも、日米ではかなり違います。
日本の場合は、ベトナム反戦運動というのは敗北の記憶であり、またボートピープル支援などは起きませんでした。つまり一過性の、そして甘酸っぱい敗北の記憶になっています。
外でもない『いちご白書』[1969 年製作の米反戦映画] を扱った日本の楽曲『いちご白書をもう一度』[1975 年の、フォーク グループであるバンバンの楽曲] というのが、運動の敗北というだけでなく、成熟は敗北だという腐敗したカルチャーを代表しているのがいい例だと思います。
ところがアメリカの場合に、団塊世代におけるベトナム反戦運動というのは、最終的にニクソンを撤兵に追い込んだ『勝利の記憶』であるわけです。」
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以上が、北岡が考える 60 年代以降の欧米文化 (特に、米国西海岸文化) と日本文化の比較論でした。
極めて穿った見方をすると、欧米では、ベトナム戦争終結の 1975 年に「ヒッピー文化 (カウンターカルチャー)」が終焉したと同時に、この年が、ヒッピー文化のレガシーを継承した「西海岸文化」の元年だった、と言えるかと思います。方や、日本では、諸々の理由から、「ジーンズと T シャツ」以外のヒッピー文化は元々国内に導入定着されなかったので、1975 年から現在まで「西海岸文化」はいっさい存在してきていません。
北岡は、「ジーンズと T シャツ」以外のヒッピー文化が国内に導入されなかった「諸々の理由」の一つは、国内の 60 年代の学生運動において極めて象徴的で、分岐的な事件であった 1969 年 1 月の「東大安田講堂事件」において、講堂に籠城していた 2,000 人の「全共闘 (全学共闘会議)」の学生たちが、8,500 人の機動隊の放水その他の激しい攻撃を受け、投降し、逮捕されたことではなかったか、という持論をもっています。
北岡の意見では、これによって、学生たちの戦意が一挙に削がれ、それまであったと思われる「革命が起こるだろう」という「集団的エトス」が完全に消失してしまったように思えます (学生運動の事件としては、他にも、1972 年の連合赤軍の残党が起こした「あさま山荘事件」があり、籠城、投降、逮捕の生中継映像が数日間テレビで放映され続けたので、国民の記憶としての印象が強いと思いますが、北岡は、エトス的、深層心理的には、東大安田講堂事件の方が心理的影響がはるかに強かった、と見ています)。
実際、作家の故三島由紀夫氏が、後年、東大安田講堂事件の機動隊を指揮した最高責任者と話をした時、「三島さん、実は、私は、あの事件の時、警察権力を使って、学生たちをこてんぱんにやりこめすぎてしまいました。もう少しは自重すべきだった、と後悔しています」(逐語的表現ではありません) と語ったくらい、両陣営にとっては「天下分け目の戦い」で、投降後の学生側は、もう二度と歯向かう気力がもてないくらい心理的ダメージあるいはトラウマを得てしまった、と北岡は考えています。
北岡は、1969 年のこの事件以来、「元学生運動家たち」は、この事件を単なる「若き日の過ち」と思うようになり、この「恥ずべき記憶」を封印して、その後、学生運動および学生運動の源泉となった「ヒッピー文化 (カウンターカルチャー)」を初めとした「過去」について話をすることをバッタリ止めたのではないか、と考えています。
(確かに、Wikipedia の「全学共闘会議」のページでは、「東大闘争は散ることで、全共闘運動は全国に燎原の火のごとくに燃え広がった」とあり、この余波で、北岡が通った地方都市の高校でも 1971 年に学生運動が起こったので、北岡の上述の「持論」は、歴史的には事実誤認かもしれません。ただし、機動隊を指揮した最高責任者の話からも、東大安田講堂事件は「天下分け目の戦い」だったはずで、歴史には「たられば」はありませんが、仮にもしこの時学生側が勝利していれば、もしかしたら日本にも実際に革命が起こっていて、その後の「全共闘運動は全国に燎原の火のごとくに燃え広がった」経緯は、(実際の歴史ではそうなったように) 55 年後の現代の若者からは「完全忘却」されてしまっている「一時的な泡沫的な社会運動」で終わらず、その後の日本の社会体制を大きく根本から変えていたのでは、という強い思いが、北岡にはあります (この北岡の思いは、団塊の世代の方々にも共有していただけると信じています)。ちなみにですが、北岡の持論を裏づけることになるとは思うのですが、Wikipedia の「全学共闘会議」のページには、「一気に発火した全共闘運動はまたたく間に鎮火した」という記載もあります。)
もちろん、他にも「諸々の理由」はあると思われますが、北岡は、国内で、現在、若い世代の人々が 60 年代から 80 年代くらいにかけて国内でいったい何が起こっていたかの情報を、いっさい与えられていない最大の理由が、「元学生運動家たち」の 「1969 年以降」 (これは、「東大安田講堂事件」に関連して、あくまでも、「象徴的な年」として、言及させていただいています) の「完全沈黙」にあるのでは、と思っています (北岡が十代の頃は、そこから二十数年前の戦争体験を親や祖父母から嫌と思うほど聞かされましたが、そういう状況は、現在では、皆無のようです)。そして、このことが、上記の『冷泉彰彦のプリンストン通信』の記事にあるように、米国では、子供が「親とか祖父母とかとも良好な関係を保っている」が、日本では「親とか祖父母には『むしろ反抗、自立』している」という「ジェネレーション ギャップ」が存在している最大の原因になっているようにも思えます。
さらに、国内の 1975 年以降の「西海岸文化の欠如」(言い換えれば、「元学生運動家たち」の 1969 年以降の「完全沈黙」) こそが、たしかに、一時的に、「ルサンチマン (遺恨)」としての「反動力」となり、1980 年代後半の「バブル期」に「ジャパン アズ ナンバー ワン」として、経済的に世界的牽引をすることに成功した要因になりましたが (そのこと自体は、実にすばらしいことでしたが)、そのバブルも 1991 年に崩壊した時には、二度目の「集団的エトス」の完全消失が起こった、と北岡は見ています。その後は、欧米のような 1975 年代以来の西海岸文化のような健全な「文化的発展」の基盤がなかったので、日本は、経済的にも、失速、疲弊せざるをえなった、ということになります。
さらには、欧米では、60 年代の文化的レガシーが、そのまま極めて健全に発展、醸成、成長していく中で、21 世紀になって、「シリコンバレー文化」を経由して、「GAFAM (Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)」(すべて、西海岸発祥の企業です!) を初めとする、現在世界を文字通り席巻しているイノベーティブな巨大企業が生み出された一方で、その文化的レガシーが後世にいっさい受け継げられていない日本では、真のイノベーションがいっさい生まれてきていない、という残念な状況になっています。
この中で、北岡は、1981 年から 2001 年までの欧米での滞在期間中に、団塊の世代の方々が十代の北岡に「焚き付けた」たことを、すべて、欧米でやってしまった、という自己認識があります。その意味で、団塊の世代の方々に心からの感謝の念を真摯にお伝えする必要があると思うと同時に、日本の「失われた 50 年」(すなわち、1975 年以降の「西海岸文化の欠如」の期間) と「ジェネレーション ギャップ」について、もし仮になのですが、団塊の世代の方々の過去のマインドセットがその原因だった、となるのであれば、誠に僭越な思いになってしまうのですが、北岡は、過去の自身自身の 40 年間の文化的/哲学的/心理学的/精神世界的なノウハウすべてをもとにして、団塊の世代の方々が「対人コミュニケーション能力の劇的改善」、「過去のトラウマの解消」、「真のライフワークの実現」、「自身のレガシーの後世の人々への伝達」等ができるように、支援させていただくことができると思っています。
北岡は、今の日本があるのは、団塊の世代の方々の尽力のおかげだと思っているのですが、北岡ワークによって、団塊の世代の方々が、統合の世界を手にされて、また新しい形で、世の中へ、今後の日本へ、貢献や影響力をもっていただくことを、切に願っています。このことによって、世代間の融和と統合が起こり、新しい時代を作っていけたら、実にすばらしいことではないか、と思っています。そして、団塊の世代の方々のこれまで「封印され」、「眠っていた」貴重なノウハウが世に解放されることができれば、近い将来の日本の再復興も夢ではない、と北岡は考えています。
以上が、「『男の花道を飾る』プロジェクト」の趣旨です。よろしくお願いいたします。
「『男の花道を飾る』メタ心理學ワーク」の特徴
「『男の花道を飾る』メタ心理學ワーク」の受講者の方々は、以下のことが達成できるようになります。
「人間コミュニケーション向上法」を習得して、家族、元同僚、元部下その他との対人コミュニケーション能力を劇的に改善することができます
もし、退職後のご自身の日々の生活で、家族、元同僚、元部下、あるいは、まわりにいらっしゃる方々との間にコミュニケーションの問題をおもちでしたら、北岡が 30 年以上研究、実践してきている NLP (神経言語プログラミング) のごく基本的な「人間コミュニケーション向上法」を学べば、他の人々に対する自身の意思伝達能力が劇的に改善し、いわゆる「疎外感」を解消することができるようになります。
克服不能と思えた深層心理的な問題を短時間で完全解消することができます
メタ心理學では、現在の自分自身の中に「求めない自分」がいたり、「解消できない葛藤」があるとしたら、その原因は、ほぼすべて、幼児期に確立された「プログラミング群」にあることがわかっています。通常、大人になった後は、これらの「幼児期に獲得した思考の癖」は無意識化されているので、その癖を変えることはほぼ不可能とされていますが、メタ心理學では、ごく簡単な「メンタル エクササイズ」で、深層心理的な問題を、金輪際、完全解消できるようになっています。この「メンタル エクササイズ」は、年齢に関係なく、しかも、ゲーム感覚で、楽しく実践できます。
自分自身の「既成概念」を破り、制約的なリミッターを外し、「新人生」を味わえることができるようになります
上述のように、メタ心理學では、無意識的な深層心理的な問題を、簡単なメンタル エクササイズで完全解消できるようになっていますが、このことは、幼児期に作り上げた「既成概念」(「世界観」、「先入観」等のことです) を「リバースエジニアリング」して、いかようにも書き換えることができるようになったことを意味しています。このことで、「これまで固着していた『既成概念』」から、継続的に、抜け出し、リミッターを外すことができるようになっています。ちなみに、まさにこれが、西海岸文化圏の人々が GAFAM 等を生み出した時にもっていたノウハウです。
ピーク パフォーマンスが発揮できる「「ゾーン状態」のアクセスが容易になります
メタ心理學では、自分自身のパフォーマンスが最大限発揮できる、いわゆる「ゾーン」あるいは「トランス」と呼ばれている「変性意識状態」に自由自在に入れる「自己催眠の技法」が多数用意されています。この状態では、これまで体験したことのある過去の最高のパフォーマスを、容易に、かつ瞬時に再現することができるようになります。
(ちなみに、GAFAM の創業者等が、「マインドフルネス瞑想」を含めて、どのように「ゾーン状態」を使って高パフォーマンスを達成してきているかについては、『ZONE シリコンバレー流 科学的に自分を変える方法』という書籍で詳述されています。)
自身の天命が明確にわかり、「真のライフワークの実現」が可能になります
北岡は、過去、四十余年間、精神的求道の道を歩んできていて、29 歳の時にクンダリーニ覚醒の体験もしました。この背景をもとに、「自分を超えた存在」が何かを知りたい、「自分は誰か?」、「自分はどこから来たのか?」、「自分はこれからどこに行くのか?」の人生の「三大命題」の答えを知りたい、「悟り」とは何かを味わいたい、自分自身の「天命」を知りたい、と思われている方々に、(北岡自身の答えではなくて) その方々自身の大切な答えを、自身で体験的に見つけることができるよう、支援させていただくことが可能です。このことで、「真のライフワーク」を明確にして、実現するプロセスを促進させていただきます。
自身がもっているノウハウを、「レガシー」として、後世の人々に伝えることができるようになります
メタ心理學、特に、そのベースとなっている NLP では、人々が無意識的に行っていることを「明示化」、「見える化」 (「モデリング」のことです) することができるようになっています。たとえば、ベテランのガス局職員は、特殊な音響探知装置を使って、どこの部分でガスが漏れているかの特定を、数センチの誤差で、行うことができる一方で、新入社員の職員の場合の誤差はメーター単位だと言われています。NLP は、このような、通常は、経験則的に何十年もの修行をしなくては達成できない「玄人」の技能獲得の無意識的プロセスを、いわゆる「憑依モデリング」(専門的には、「DTI (Deep Trance Identification、深いトランスでの自己同一化) モデリング」) と呼ばれている技法で「意識化」、「見える化」して、素人の方でも、そのプロ級の能力を、比較的短時間で、獲得できるようになっています。この技法を使えば、メタ心理學ワークの受講者の方々は、自分自身の「暗黙知」を「形式知化」(「言葉化」) することで、その「レガシー」を、後に続く世代の人々に、学習可能な一式の技法として、明示的に、的確に伝達していくことができるようになります。
「『男の花道を飾る』ライフコーチ」北岡泰典とは?
数多くの資格認定講座とワークショップの開講経験と個人セッションのクライアントとの長年の臨床経験をもっている「ライフ コーチ」の北岡泰典は、1956 年生まれなので、「団塊の世代」ではありません。
北岡は、生後 4 ヶ月で脳性麻痺に罹り、軽度の左半身麻痺の後遺症が残り、5歳と 10 歳の時に養護施設体験をして、そこで「幼児性愛的」な極度のトラウマをもってしまいました。その後、通常の中学、高校に通い、二浪の後、都内の大学に入学/卒業しましたが、常に「社会的不適合者」で、文字通り 24 時間ずっと「精神的蟻地獄」に生きていました。
上記の「『男の花道を飾る』メタ心理學ワーク」とは?」の項でも述べましたが、北岡は、関西の地方都市出身で、1971 年の高校時代に、学生運動と「ヒッピー文化/カウンターカルチャー」の洗礼を受けました。
北岡の周りには、「枠が外れた」興味深い先輩や同級生がいました。先輩の一人は、大江健三郎の『日常生活の冒険』を読み、感化され、高校を 1 年間休学して、ミロネシアに行き、その後、復学しました (この方は、後年、京都美術大学の教授となり、最近退官された、と聞いています)。他にも、「アナーキスト」と形容されてもいいような学生たちも何人かいました。
「ヒッピー文化/カウンターカルチャー」に感化された北岡が、当時影響を受けた映画には、地中海のイビザ島を「ヒッピー化」させる端緒となった仏映画『モア』 (1969 年製作、サントラはピンク フロイド)、上述の反戦米映画『いちご白書』 (1970 年製作、サントラは、主題歌の「サークル・ゲーム」を歌うバフィ・セントメリー、クロスビー・スティルス・ナッシュ・ヤング (CSN&Y)、ニール ヤング、その他) 等がありました。特に、「いちご白書」のサントラで知るようになったニール ヤングは、北岡の高校時代の「アイコン」でした。
当時の北岡のもう一人のアイコンは、上述の大江健三郎でした。『日常生活の冒険』、『個人的な体験』、『空の怪物アグイー』、(大江の小説の中で北岡が最も影響を受けた)『万延元年のフットボール』その他の大江の小説にのめり込みましたが、特に、『日常生活の冒険』の冒頭は、主人公の友人の斎木犀吉が、アフリカ北岸の街で自殺するシーンから始まります (数年前に、斎木犀吉のモデルは、大江の義兄の伊丹十三であることを知りました)。また、主人公と斎木とその愛人の卑弥子がヨーロッパに渡り、英国ロンドンとフランスのパリ間をシトロエン車で移動するシーンもありますが、これらのシーンに多大な影響を受けた北岡は、実際の人生において、大学卒業後、サハラ砂漠 (厳密には、アフリカ北岸のアルジェリア) で通算 3 年間仏語通訳をしたり、パリに滞在したり、ロンドンに 15 年間住んだりすることになりました。
北岡は、高校時代、いわゆる「政治運動」に明け暮れ、勉学を疎かにしていたのですが、大江健三郎に倣い、小説家になることを目指していました。大江は、東大文学部仏文科卒だったのですが、北岡は、国立大学への入学はとても無理だと判断して、有名私大の文学部の仏文科への入学を目指すことにしました。高校卒業後、上京して、二浪し、念願の大学の文学部に入学できました。
大学では、文芸サークルに所属しましたが、部員は、毎日、花札やトランプや手品に明け暮れるような学生たちばかりでした。当時、マルセル プルースト的な私小説の『過去への旅路』という短編小説を同人誌に寄稿しましたが、同僚から「シカト」されたので、最終的に、「筆を折る」ことにしました (この短編小説の前編を掲載した同人誌の号を、数年前にネットで見つけ、購入して、今、現在、手元にあります)。北岡の人生で、文字通り一番不毛だと感じたのは、大学生活の 5 年間でした。
大学時代も、ずっと「精神的蟻地獄」が続いていたのですが、三年生時に、夏季フランス私費留学をした時に、パリで、日本人の顔を見ないので、「対人恐怖症」的な反応がまったく起こらなくなり、「水を得た魚」のようになり、人生上味わったことのない「解放感」もちました。その時、将来的には、海外で過ごそうと決意しました。
夏季留学から帰国後、四年生時に、再度、フランスに私費留学しました。パリにいる時、アフリカ北岸およびサハラ砂漠で、極めて高給なフランス語通訳を募集していることを知り、そのまま大学を中退して、アフリカに行こうと思いました。ただ、当時の北岡のフランス人の友人の奥さんである日本人の方に相談したら、「あなたは、これまでずっと苦しいところから逃げてばかりいるようですよね。一度は、一番苦しい場所に行って、耐えて、苦労したらどうですか」という助言を受け、帰国することを決意しました。
帰国した時、周りからは、「本大学のこの学部の学科生は、中退したら有名になる人が多いが、あなたは復学したので、ただの人になりましたよね」と言われました (笑)。復学後は、マルセル プルスートに関して、フランス語で学士卒業論文を書き、一留後、大学を卒業しました (この学士論文は、いまだに、手元にあります)。
大学を卒業するという「禊」が終わったので (笑)、1981 年の卒業と同時に、念願のサハラ砂漠 (アフリカ北岸のアルジェリア) に渡り、1985 年まで、通算 3 年間、日本の大企業向けのフランス語通訳に従事しました。
サハラ砂漠で稼いだお金で、60 年代、70 年代のヒッピーがやったであろう「バックパッカー」のヨーロッパ一周の一人旅を行った後、再度、サハラ砂漠で通訳をした後、かねてから弟子入りしたいと思っていたインド人導師が西海岸のオレゴンのコミューンにいることを知り、1983 年に、そのコミューンに行き、導師に弟子入りしました。
コミューンでは、「国際瞑想大学」で開講された「西洋最新の心理療法」と「東洋最古の瞑想法」を融合した催眠療法コースに参加しました。このコースは、60 年代、70 年代にセラピーの世界的なメッカだった、カリフォルニア州ビッグサーにあった「エサレン研究所」のセラピー コースを模したものでした。
(エサレン研究所は、当時の「ヒッピー文化 (カウンターカルチャー)」関連の大御所の思想家/哲学者/心理学者/宗教家/療法家たちが一同に集った場所です (北岡は、哲学者の鈴木大拙も研究所で教えた、と理解しています)。
エサレンでは、様々な種類の「意識の拡張」の実験が行われていました。北岡は、個人的意見として、エサレン研究所の実験が、1975 年に (後述の) NLP を生み出し、さらには、21 世紀の GAFAM の創業者を生み出す要因になっている、と考えています。)
北岡は、1983 年にコミューンを離れた後も、再度、サハラ砂漠での仏語通訳業務でお金を貯め、1985 年に再びコミューンに戻り、結果的には、この催眠療法コースには、通算で 7 ヶ月間 (1,700 時間) 参加しました。この時期に、ダンシング瞑想をしていた時、実際に「クンダリーニ覚醒」も体験したので、北岡は、このコースで、自分の幼少期からのトラウマは解消されえるのでは、と思っていました。
(ちなみになのですが、北岡は、個人的には、シリコンバレーの IT 起業家等に多大な影響を与えている著名な欧米のコンサルタント、ベストセラー作家、マーケターの多くは、西海岸文化の洗礼を受けてきていると思っています。そのような VIP マーケターの一人に、ジョー ヴィタリー (Joe Vitale) という方がいますが、この方は、北岡の師匠の弟子で、1983 年頃、北岡と同じ時期に、西海岸のオレゴンのコミューンに滞在していたということです。このことが、IT 起業家等に影響を与えているコンサル、マーケター等が西海岸文化的環境にいた、という傍証となっています。)
ということですが、ただ、師匠のコミューンでのセラピーと瞑想の体験を通じて、「一時的な解放」はあったものの、それを「恒久化」することはできませんでした。
その「一時的な解放を恒久化」し始めることができたのは、1985 年に住み始めた英国ロンドンでした。当時、北岡は、日系企業に勤めていたのですが、その際参加していたセラピー、瞑想、催眠、自己啓発、代替医療関係のセミナーの参加者等が異口同音に「NLP (神経言語プログラミング) はすごい」と言っていました。
そのこともあって、1988 年の春に、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏がロンドンで開講した「個人的天才になるための必要条件: どんどん下に重なっていく亀」というワークショップに参加したのですが、NLP が、「枠から出た (一時的な『悟り』等の) 状態を 24 時間継続させる方法論」であることを知りました (ただし、極めて残念なことですが、国内で流布している NLP は、本場米国と比べると、雲泥の差がある「希釈バージョン」の NLP となってしまっています)。
この時点から、「絶対抜けられないと思えた『精神的蟻地獄』」は、実は、幼児期に築き上げ、その後無意識化されたプログラミング群にすぎず、「元々始めから実体のない妄想」であったことを認識し始めました。
その後、NLP の自己適用を続け、2001 年の帰国時までには、精神的蟻地獄からの完全脱出に成功した次第です。
ちなみに、1981 年からサハラ砂漠に 3 年間滞在し、1983 年の西海岸でのインド人導師に弟子入りして以来、1985 年からは英国でセラピー、瞑想、催眠、自己啓発、および、(1988 年以降は) NLP を通じて、精神的蟻地獄から脱出する目的で、様々な「意識の実験」をしていた時、北岡は、すでにその時には亡くなっていた、三味線、尺八、書道、写真等の芸事の世界を極めた「明治生まれの粋人」だった祖父がもしまだ生きていて、欧米にいたら何をしていたか、のモデリングをしていた、という認識がありましたが、今、思い出し直すと、実は、「祖父のモデリング」というよりは、むしろ、十代の北岡の感性を「焚き付けた」団塊の世代の方々が、実際に北岡にやれと発破をかけたことを、彼らに代わって、欧米で、「代理でやりまくっていた」という思いを強くもつ次第です。
* * * * * * *
2001 年の帰国後は、北岡は、2012 年まで、NLP 資格認定ビジネスに従事していました。
この時、北岡自身は、欧米で NLP を学んで、内面的に「大化け」したので、国内で、欧米直伝の NLP をそのまま教えたら、「化ける」人々が多出すると思ったのですが、実際には、そうなりませんでした。
この原因は、2012 年に、NLP 資格認定ビジネスから離れ、エグゼキュティブ ライフ コーチング (個人セッション) 業に従事していた時、判明しました。
「ライフ コーチング」ビジネスを始めて、しばらくして、北岡の個人セッションを受講された、あるクライアントの方は、北岡が卒業した大学の後輩の会社社長で、優秀な方でしたが、6 回の個人セッション パッケージの 3 回目のセッションの際に、「今学んでいる NLP の現実社会への落とし込み方がわかりません」という、正直、北岡には理解不能のことを言われました。北岡が「どういうことですか?」と聞いた時のこの方の答えで、NLP を学んで「化ける」ためには、そもそも論として、NLP が生まれた「西海岸の文化圏の人々」が無意識的に身につけてきている、いわば、コンピュータの OS のような基本汎用型思考パターンを身につけておかないと大化けすることはなく、この思考パターンを身につけていない日本人と身につけている西海岸文化圏の人々の間には、少なくとも 50 年以上のギャップがあるということがわかった次第です。
このクライアントの答えは、「(私を含めて) 日本人は、現実が絶対に変わらない、と思っています」でした。「それは、どういう意味ですか?」と聞いたら、極めて明快な比喩を使ったコメントをしてくれました。
彼によれば、「日本人は、タフな現場に行く前に、予め、アンカー (条件反射の人間バージョン) を使って、バニラ アイスクリームの匂いを作ることができますが、現場の (たとえば、交渉相手の) 人々がタフで、牛のウンチの強烈にくさい臭いを発散するので、バニラの匂いは完全に撃沈されてしまいます。その後、帰宅後、泣くのですが、この時、再度アンカーを使って、現場で起こったことについての『記憶』を書き換えて、自分を慰めようとするだけです。このサイクルが永遠に続くので、誰も、現実を変えられるとは思っていないです」ということで、(北岡にとっては、初めて聞く)「衝撃の事実」が判明しました。
この北岡にとって衝撃的な事件の後、北岡は、「西海岸の文化圏の人々」のように「現実を仮想現実化」することができる「RPG ワーク (現実を仮想現実化する『ロール プレイング ゲーム』) ワーク」演習を開発し、上記の会社社長の方にこの演習を施術したら、この方は、「NLP の現実社会への落とし込み方」を体得したようでした。その後、二、三年経って、この方と再会しましたが、当初 8,000 万円だった会社の年間の売上が、北岡のワーク受講後、5 倍の 4 億円になった、ということでした。
その後、紆余曲折を経て、昨年、北岡は、メタ心理學ワークを開発しました (「メタ心理學」と「メタ心理學者」の呼称の商標登録出願中です)。
これらの呼称は、2021 年 10 月に Facebook が社名を「Meta」に改名したことを単に真似たものではないか、と思われる方々も多くいらっしゃる、と思われますが、しかし、歴史的経緯として、1975 年の創始時に、NLP にはまだ正式名称がなく、当時「メタ心理學」(あるいは「メタ メソッド」) という通称が使われていたことを指摘しておく必要があります (この事実は、当初 1980 年刊行の、北岡が翻訳した NLP 入門書『Magic of NLP』の「まえがき」で確認可能です)。ちなみに、北岡の知り合いの方で、「『Meta』の呼称を使うことで、Facebook もやっと、NLP に追いつきましたよね」とおっしゃった方がいましたが、北岡は、この方に激しく同意します。
その後、北岡は、エグゼキュティブ ライフ コーチとして、活動してきていましたが、今回、以下に引用させていただいた上述の思いを強くもった次第です。
「北岡は、今の日本があるのは、団塊の世代の方々の尽力のおかげだと思っているのですが、北岡ワークによって、団塊の世代の方々が、統合の世界を手にされて、また新しい形で、世の中へ、今後の日本へ、貢献や影響力をもっていただくことを、切に願っています。このことによって、世代間の融和と統合が起こり、新しい時代を作っていけたら、実にすばらしいことではないか、と思っています。そして、団塊の世代の方々のこれまで『封印され』、『眠っていた』貴重なノウハウが世に解放されることができれば、近い将来の日本の再復興も夢ではない、と北岡は考えています。」
北岡は、今、このような「トップダウン式の変革」を行うことで、日本全体が再活性化されることを願っています。
ちなみに、北岡は、近代史において、インドのムガール帝国を征服した大英帝国は、事前にその官吏を数年間カルカッタ大学に留学させ、インドの文化、政治その他のインド人の「マインドセット」を徹底的に理解させた上で、実際の政治的征服に取りかかった、ということを聞いたことがあります。
同様に、北岡は、「侘び寂び」や「芭蕉の句」や「おもてなし」や「包装技術の繊細さ」等の「日本のよさ」を欧米人に対してアピールする際は、「井の中の蛙」的なアピールでは無視されてしまう可能性がある一方で、欧米人、特に、(GAFAM や「マグニフィセント セブン (GAFAM + NVIDIA + TESLA)」や (イーロン マスクを輩出した)「PayPal マフィア」の企業創業者等を生み出してきている) 西海岸文化圏人の頭の中を (願わくば、彼ら以上に) 知った上で、彼らと同じ波長の議論をしながら、その「トッピング」として、日本のよさをアピールしたら、欧米人からの受けは、著しくよくなる、と考えています。
北岡は、「会社の要職から退職された後の『団塊の世代』の方々」が、「若い頃もった夢」を、改めて実際に実現されることで、さらなる首尾一貫性をもたれ、日本全体に、強力なメッセージを発信して、再び社会を牽引されることができるように、欧米で培った過去 40 年のノウハウすべてを活用して、全面的支援をさせていただきたいと思っています。
* * * * * * *
最後に、一点、「日本の再復興」の可能性に関連して、団塊の世代の方々とシェアリングさせていただきたいことがあります。
それは、2 年くらい前に北岡のエグゼキュティブ コーチングのクライアントになっていただけた五十代くらいの会社経営者の方とのやりとりについてです。
この方は、「悟り」の世界にも興味ある方で、北岡のメタ心理學ワークを高く評価していただき、ワーク後、以下のワーク感想をいただきました。
「今、確信していることは、
『北岡先生は救世主』であるということです。
何故かと申しますと、私が悟れたからです。
セッションを受けて、私は悟れました。
道元禅師も、覚者と一緒に座禅することの重要さを強調していますが、
そして、原理としてはわかるのですが、
問題は、悟った人にどうやって出会うかということです。
今は、この問題は、簡単に解決できます。
北岡先生に会えばいいからです。」
北岡は、この方の感想には「お世辞もたぶんにあるのでは」とは思っていますが (笑)、ただし、この方とセッション中にもった「逆位相」の話は、極めて興味深いと思った次第でした。
すなわち、北岡は、たまたま、音響関係の「ノイズキャンセリング」(波形が同じで、位相が 180 度反対の波である「逆位相」の波どうしを重ね合わせると、「重ね合わせの原理」により波が消える (すなわち、音が消える) 性質をイヤホン、ヘッドホンに利用した機能) の話を、学生時代に数学を専攻されていたというこの方にしました。
北岡がこの話題を持ち出した意図は、たとえば、「アンカーリング」(NLP の用語で、「パブロフの犬」として知られている「条件反射」の人間バージョンで、「幼児期に形成され、固着してしまっているプログラミング群」のことです) が、NLP やメタ心理學ワークによって「チャラ (初期化)」にできるかどうか、についてだったのですが、実は、左翼的な「カウンターカルチャー」関連のことにも、たとえば、戦前の日本の政治に関するような右翼的なことにも理解を示されていたこの方は、突然、以下の「衝撃的」なコメントをされました。
「私は、北岡さんが長年研究実践されている NLP と、特に、最近独自開発されたメタ心理學のワークは、戦後 80 年近く続いてきている GHQ 体制をチャラにできる『逆位相ワーク』ではないか、と思っています。」
北岡は、個人的には、このコメントは、おそらく、北岡ワークへの「最大の賛辞」となっていると思っていて、この極めて勇気づけられるコメントをいただいてからは、メタ心理學ワークの洗練化と体系化の努力を、初心に帰って、さらに続けてきている次第です。
北岡は、もちろん、「北岡ワーク = GHQ 体制に対する『逆位相ワーク』」の公式に、全面的に同意できますし (この「天下の逆位相」を引き起こせるのは、北岡ワークのみではないか、という自負さえもっています)、この公式が成り立つくらいのノウハウ獲得の努力を、インド人導師に弟子入りした 1983 年から四十余年にわたって (欧米滞在中と 2001 年の帰国後に) 地道に継続してきているつもりでいます。
もちろん、いかんせん、このような「世紀の大仕事」を、海外で 20 年間過ごした「西洋被れ (笑)」で「異端児」の北岡一人でできるとは思っていません。この「逆位相」を起こすためには、北岡は、団塊の世代の方々との「タッグを組ませて」いただくことが必須になるのでは、と思っています。
さらに付け加えると、北岡は、日本人に、西海岸文化の GAFAM レベルのイノベーションを達成させる「令和の一大革命」を引き起こせるとも、考えています。
すなわち、団塊の世代の方々は、1969 年の革命において「極めて無念な思い」をもたれたとは思いますが、北岡は、いわば「一匹狼」的な「自称『残党メンバー』」として、そのレガシーを、1981 年から 20 年間、海外で、一途に、愚鈍に継承し、実践し続けました。
そして、2001 年に帰国した後、とうとう、「ヒッピー文化の 21 世紀の落とし子たち」である GAFAM の創業者等の頭の中を「完全再現」する方法を発見/独自開発しました。つまり、「GHQ 体制に対する逆位相」を引き起こしながら、同時に、GAFAM 創業者級の日本人のイノベータを創出するという「令和の一大革命」が、可能になったのです。もちろん、北岡は、上述のように、独自では何もできないと、と考えています。
ただ、北岡には、過去 40 年間の「西海岸文化圏人の頭の中を知り尽くした」哲学的/精神世界的/心理学的/臨床的な実践的ノウハウがあります。一方で、団塊の世代の方々は、国内の政治経済と経営事情に通じていて、長年にわたる知見と実践的な経験があります。若き古き日の熱き情熱を、今なお、心のどこかに秘められているとも思います。これらの我々の測りきれない価値のあるリソースどうしがシナジー的に相互統合されたら、このような (政治的ではなく、精神的な)「令和の一大革命」もまったく夢ではない、と思っています。
団塊の世代の皆様も、学生運動やバルブ経済についての苦い記憶を乗り越えて、この 2024 年に、「令和の精神的革命」を、北岡と一緒に引き起こし、疲弊した日本人を救済し、日本を再復興させませんか!
それが、あなたと北岡自身の「見果てぬ夢」の実現につながることを、切に願っています。
なお、以下のリンクで、北岡の肉声の特別メッセージを聞くことができます。
https://www.kitaoka.co/archives/declaration/241024.mp3
以上が、「『男の花道を飾る』プロジェクト」の何たるか、です。
何卒よろしくお願いします。
メタ心理學ワークのクライアント感想
以
下のクライアント感想は、本コンサルタントが開講したエグゼキュティブ個人セッションの受講者の方々 (北岡の既存のクライアントの、比較的若い方々) からの感想です。
北
岡先生のNLPセッションを受講後、私の中で「意識」と「無意識」に調和が取れ、無意識が常に援助してくれるような感覚を味わいました。
それまでは、心のつぶやきがネガティブな物が多かったのですが「もっと売上UPできるはず」と、勝手に脳内でつぶやいてくれるように変化し、自然と行動してまう現象が起きました。その結果、限界だと思っていた売上が1ヶ月後に従来の「2,3倍」もアップしてしまい、正直驚きました。
さらに、今まで思い浮かばなかったビジネスでの「クリエイティブな発想」が舞い降りるようになり、将来のビジネスに対しての不安が大きく減りました。心理学の勉強はいくらでも可能ですが、本物の体感的ワークを身に着ける事は、どこに行っても不可能だったと思います。北岡先生には感謝をしております。
弊社注: 仙道様は、北岡ライフ コーチング個人セッション パッケージを受講された後、毎年数億円の売り上げを更新され続けてこられている業界でもトップ級のコンサルタントです。
現在、包括的パッケージ ワークを受講中ですが、これまでの人生や世界に対する捉え方が根本的に変わる衝撃的な体験をしています。言葉にするのが難しいほど、深く、革命的な体験でした。これは北岡さん以外からは(いらっしゃるかもしれませんが)教われない内容でした。興奮が止まりません。
GAFAM 創業者や PayPal マフィアが行っている思考パターンを実践したわけですが、彼らがなぜイノベーションを起こせるのか、逆に言えば日本から真の意味でのイノベーションが起こらないのはなぜか、その理由の根幹が見えました。この思考パターンを体験する中で、自分の思考の枠から明確に抜け出すことができました。自分が飛躍するために突破せねばならないと思っていた幼少期の頃からある思考の壁が、ものの30分もかからずに崩れ去りました。結果、セッション翌日から長年のボトルネックとなっていた行動が変わり、これまで繋がりもなかった方々とのご縁が生まれ、自身が経営するビジネスが大きく動き始めました。
また、直面する相手の思考パターンも読み取ることができるようになり、自身と相手の思考の思考の調和ができるようになりました。弊社に2ヶ月ほど体調を崩し会社に来れていなかったメンバーがいたのですが、北岡さんのワークを実施することで、その翌日から出社し、これまでにないパフォーマンスで活躍しています。今までいかに工夫しても会社に来れなかったメンバーが、たった一日で来れるようになり、その後は何の問題もなく活躍できていることには、正直非常に驚いています。
何より、北岡さんのワークは、単なるビジネススキルの向上や思考パターンの習得を超えて、人間としての深い洞察と成長を促すものでした。私たちが通常、水平的な成長に注力する中で、このワークは垂直的な進化、つまり人としての抽象度を高める方法を提供してくれました。これは、社会的成功にとどまらず、人間的成功をもたらすものです。
最後に、北岡さんと出会えたことに心から感謝しております。私は、今ここにないものを作りたい、同時に自身の哲学や生き方をより磨きたいという思いを長年持っていました。北岡さんと出会えたことは私にとって奇跡のような出来事でした。
社会に変革を起こすことを志されている方や、社会のリーダーたる方には、北岡さんのワークを是非体験していただきたいと思います。自身の、さらには世の中の思考の枠を超え、新たな世界を創造する道がここにあると確信しています。
後世から見た時に、イエスや仏陀のような存在として北岡さんが認識されていても何の不思議もない。素直にそう感じています。
▼参加前に悩んでいたこと
・さらにクライアントに成果を出すにはどうすれば良いか?
・さらに満足度の高いコミュニティを作るにはどうすれば良いか?
・さらに自分のビジネスや心理学に関するスキルアップをするには
どうすれば良いか?
※具体的には「カール・ロジャース」的な傾聴主体のセッションは
1万時間以上経験しており、その手法に限界を感じていた。悩みを聞く
こと以外に「効率的かつ根本的にトラウマを解決する手法」を探していた。
・自身の人生に対する空虚感やトラウマなどがあった。
▼参加後の変化(成長や成果)
・私は北岡さんの研修を2セット受けましたが、その過程が終了するまでに
臨床心理士、医師、大学教授、有名経営者を含む約500名程度の男女に個別指導、
ワークショップ開催を行いました。
・特に、北岡さんから教わったメタ心理學のワークを社内講師や講座の受講生に研修し、
延べ1,000名以上の男女に施術を行ってきました。施術を受けた方々には
様々な自己変容が起きていて、多くの人に感謝の声をいただいてきました。
・クライアントのビジネス/心理支援の成果が倍増しました。
(初心者・プロともに、売上増加と自身のトラウマ除去の事例が急激に増えて
数えきれない)
・コミュニティの満足度だけでなく運営チームメンバーの結束が強まり、
よりよい社内環境に繋がりました。
・弊社の年商が、5 ヶ月で、年商8000万円から年商1億2000万円に向上しました。
・オリジナルのワークが10個以上できて、100万円の研修が多く売れました。
(北岡さんにお支払いした報酬は、すべての研修が終了する前にペイされました)
・「傾聴」を手放し、悩みやトラウマを聞かなくてもそれらが短時間で解決できる
能力を身につけられました。
・NLPに関する誤解が解け、先人たちへの敬意を強めました。
・自分の人生の幸福度が過去最高に高まり「空虚感」や「トラウマ」を感じることが
できなくなりました(これは本当にすごいことです!)。
・最後に…
私は幸運なことに31歳時点で北岡さんと出会い学ばせていただけました。
その幸運は言葉では言い表すことができません。北岡さんには心から感謝しています。
ぜひ若い世代の方々で、社会に対して強い情熱やリーダーシップのある方は
なるべく早い段階で北岡さんに出会い、指導を受けることを強くオススメします。
これまでの人生/世界の捉え方が180度変わり、自分自身が超越者/覚者として、
高い意識で悟りを体感できるでしょう(真剣に学べば、です)
北岡さんは、日本の心理支援業界で、最も注目すべき一人(学ぶべき一人)である、
と間違いなく言えます。
※ これまでの私
4年前から、北岡先生から直接指導を受けた箭内宏紀さんから北岡式NLPを学び、実践してきました。
なぜかというと、私には探求したい心の課題があり、また実現したい夢がありました。
そのためにはどうしたらいいか?その答えを探していました。
4年間実践する中で、人生は大きく変わりました。前述の2つのことは叶い、現在心理カウンセラー・コーチとして独立し、2社の経営者となりました。述べ3400人を超える方々と向き合いセッションを提供し、人生の転換点に立ち合ってきました。
※ その結果
私も含め、多くの方が精神的自由を手にすることで、人生の本当の目的を知り、思考の限界を払拭し、人生観が変わり、望む現実に生きることができるようになり、現実が大きく変化しました。
私の講座受講生や個別指導でセッションを提供したクライアントさんの人生も大きく変えることになったのです。
さらに、受講生やクライアントさんに北岡式NLPのメソッドを習得してもらうことで、自己適応(自分で自分を変えることができるようになったり、悩みを解消したり等)はもちろん、他人の悩みや状態を望む状態に変えることができるようにもなっていました。箭内さんから受け継いだ技術は私の先のそのまた先へと渡すことができて、技術の再現性の高さと、貢献度の高さには驚きを隠せません。
こうして、幸せの連鎖を繋ぐことができ、私の至高体験そのものであり、幸せの極みであります。
※ そして今
昨年、北岡先生のオフライン ワークに参加した後、直接メタ心理學の個人セッションを受けてきています。そのことでさらにこれまでの経験を超える先の未来へ進みたいという目的を見つけることができました。
さまざまな心の葛藤や新しい道へ進む時の抵抗感、さらには、日常の人間関係の不協和音や肉体疲労と労働のバランスに至るまで、「曼荼羅フラクタル リエンジニアリング (MFR)」ワークでは、全て一瞬で解消されたという驚きの体験をするに至りました。
これにより新しい思考パターンが生まれ、さらにこの先の未来へ進む原動力を手にし、今こうして、新しいチャレンジをすることができています。この体験がなければ、今の私はこうしていることはなく、道を外れていたと思います。
人間の精神レベルを上げることは、通常ではできないものであると思いますが、セッションを受け、高次の視点から達観することで、新しい選択や判断、新しい発想がもたらされ、自分の人生を自分で創造できる力と精神を手にすることができました。
さらに私はこのセッションで、悟りというものは実践するものだということも分かりました。
※ 最後に
これまで受けてきた北岡先生のセッションは、この世に残す必要のあるものばかりだと私は考えます。これらの素晴らしい技術を後世に伝えていくことが私の生きがいです。
精神的成長と高次の視点の高度を上げることは、メタ心理學でしか手に入らないと考えます。
北岡先生のメソッドに出会えたことに深く感謝いたします。
本気で人生やビジネスに革命を起こしたい!と思われる方は、北岡先生のセッションを受けることをおすすめします!
北岡泰典プロフィール
・メタ心理學研究所 代表
・(株) オフィス北岡代表取締役社長
・NLP インテグラル アソシエーション (旧日本 NLP 協会) 顧問
・元英国 Creativity Enhancement Ltd. 社CEO
1956 年生まれ。40 年以上に渡る「意識の学際的研究家」。
1981 年、早稲田大学第一文学部卒。
1980 年代から欧米に滞在し、1983 年に米国西海岸でインド人導師に弟子入りして以来、長年瞑想を実践。クンダリーニ覚醒の体験者。
1983 年から 1985 年までの間に、導師が指導した「国際瞑想大学」で 7 ヶ月間の「脱催眠療法コース」に参加。1988 年から 1989 年までの 2 年間の間に、英国ロンドンの「SHAP (催眠と上級心理療法校)」で、包括的催眠技法を完全習得。
1986 年から英国ロンドンで、通訳、異文化コミュニケーション コンサルタント、コーディネータとして活動。その間 「NLP 四天王(リチャード・バンドラー、ジョン・グリンダーを含む)」から直接を学び、NLP を完全習得。
2002 年よりベースを日本に移し、東京、大阪、福岡で資格コースを開講。さらに、NLP を活用したコーチング・セッションを数多く提供し、人々の自己変容、人生変容の支援。
2010 年 11 月 13 日付の The Japan Times 誌で「アジアの次世代 CEO 100 人」の一人として紹介される。現在、北岡は、同誌の英文オンライン サイト「100 Next-Era CEO's in Asia」で、オールアバウト代表取締役社長兼 CEO 江幡哲也氏、(株) 藤巻兄弟社代表取締役社長藤巻幸夫氏、(株) ジャパネットたかた代表取締役社長髙田明氏、ブックオフコーポレーション社長兼 CEO 佐藤弘志氏等とともに紹介されている。
「メタ心理學研究所(MPI)」設立のお知らせ: https://www.kitaoka.co/meta/
(株) オフィス北岡サイト: https://www.office-kitaoka.co.jp/
「The Japan Times」紹介ページ: https://www.kitaoka.co/japan_times/
LinkedIn 紹介ページ: https://www.linkedin.com/in/guhen-taiten-kitaoka-4b736244/
■ 講習&セミナー実績
2002 年から 2012 年の間に、以下の資格認定コース、ワークショップ、個人セッションを開講。
NLP プラクティショナー コース (12 日間) 26 期 450 名
NLP マスター プラクティショナーコース (12 日間) 16 期 300 名
NLP トレーナーズ トレーニング コース (10 日間) 3 期 40 名
(延べ生徒数 800 名、計 540 日間のトレーニング実績)
4 日間ワーク 30 回以上
イブニング ワーク 250 回以上
2013 年から、エグゼキュティブ ライフ コーチとして、経営者等向けに個人セッションを開講中 (個人セッション クライアント数延 300 人以上)。
2020 年から、コロナ禍で、ライフ コーチング個人セッションは、ほぼすべて、オンライン Zoom 開講してきています (400 回以上の Zoom セッション実績)。
■ 出版実績
・古典的 NLP 入門書「Magic of NLP」(翻訳)
・ビジネス NLP 入門書「 ビジネスを成功させる魔法の心理学」(翻訳)
・ニューコード NLP 古典書「個人的な天才になるための必要条件」(翻訳)
・「5文型とNLPで英語はどんどん上達する!」(ダイヤモンド社刊)
・「一瞬で新しい自分になる30の方法」(ダイヤモンド社刊)
「『男の花道を飾る』プロジェクト『無料個別面談』」概要
本無料セッションは、2H の長さで、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」と「RPG ゲーム」を組み合わせた「明鏡止水」ワークが施術されます。
以下にあるのは、「『男の花道を飾る』プロジェクト『無料個別面談』」の概要です。
この無料個別面談にご興味のある場合は、以下のボタンを押して、お申し込みください。